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グレン・グールド (その2)
それをグールドは芸術論としていろいろな場で発言しています。「コンサートは死んだ」とか山ほどの「論」を文章でも、インタビューでも、ラジオやテレビの収録でも展開しています。そうした演奏哲学、音楽哲学に類する発言が繰り返され、グールドは次第に哲学的な見地からその演奏が捉えられる様になっていった訳です。
スタジオに隠り録音した音楽にこそ意味があるのだと言うに至ったのです。世の音楽ファン、ピアノファン、そして評論家、音楽学者、哲学者などの専門家までがこうした言動や奇抜な行動に深い意味を見いだそうと飛び付いたのでした。恐らくグールドほど多数の本が書かれたクラシック音楽のピアニストはいないと思います。彼が世界最高のピアニストだから・・・ではもちろんありません。言動や行動が本を書きやすくしてくれるのです。
要するに提供してくれる話題が多く、記事の材料に事欠かないと言うことです。グールドがクラシック音楽のピアニストだった為に提供された話題は、映画スターやロックスターの様なゴシップネタになり面白可笑しく書かれませんでした。芸術、哲学的な意味を見いだそうと「研究」されてしまったのです。
これはある意味グールドに取っては幸いでした。皆が勝手に意味深く捉えて、しかも、深読みして、哲学的に「過ぎる」解釈までしてくれるのですから自ら骨を折って出来れば触れたくない事柄を説明する必要がなかったのです。
この様にしてグールドはピアニストの特異現象として扱われだしたのです。レコード会社の売り出し戦略もこれに拍車をかけました。録音スタジオに現れた若いピアニストは6月だと言うのにコートに手袋、薬や補助食品らしき類いの荷物。有名な傾いた演奏用の椅子、そして称賛に値する類例をみない才能の輝き!演奏には関係のない事であっても新たなピアニストを売り出す宣伝材料にあふれた「変人」ぶりを使わない手はないと判断したのです。
如何なるグールドに関する事柄も、言葉や目の前に現れた通りの意味の裏に必ず別の意味が、表裏一体になって付いているのです。数少ない人達を除けば、大多数の人々は「変人」グールドの演奏以外の面に関心をしめしたのです。あるいは裏にあるものに気が付かなかったか、無視したのです。
さて、グレン・グールドと言うまれにみる才能を持った若いピアニストが自ら本来であれば周り回に向かって、骨を折って説明しなくてはならない事、その事にわざわざ進んで触れなくて済んだと先に書きましたが、それの触れなくて済んだ事とは一体何だったのでしょう。
いえ、もう少し露骨な言い方をすれば「告白」しなくてやり過ごす事が出来た事とは何だったのでしょうか?
その3に続く