レオンスカヤ その6
レオンスカヤはその実力に比してあまり高い評価を受けていないピアニストの一人です。 どうしてそうなのかと考えてみますと、レオンスカヤがもたらす演奏が何度か言います様に中庸な演奏だからです。 中庸な演奏とはどちらか極端な方向に振れることがない、バランス感覚に優れた演奏です。 ですからしばしば問題とされやすいのですが、良きバランス感覚と言うものは、平板な印象をもたらしやすいものです。 かつてウラディーミル・ホロヴィッツは「誇張と歪曲の巨匠」と言われました。 このような評価が正しいのか間違っているのかは別にして、ホロヴィッツに代表される様に、ある方向に演奏の表現が突出して聞こえれば、分かりやすく好き嫌いがはっきりして、ピアニストを評価しやすく、特徴ある演奏として認知されやすいのは確かです。 バランス感覚に優れ「過ぎて」いると過小評価されやすく、聴衆も特徴をつかみにくく感じ面白みのない演奏と感じがちになります(ある方向に突出して分かりやすいと言うのとロ短調ソナタの演奏が分かりやすいと言うのは違う事を言っておきます。 ロ短調ソナタの場合は難解な曲にも関わらず腑に落ちる演奏だと考えて頂ければ幸いだと思います。)。
例えばレオンスカヤは室内楽で弦楽四重奏団などと、良く共演しています。共演者達はレオンスカヤの室内楽演奏を高く評価してします。 共演者達の信頼を得て演奏活動を行うには、バランス感覚に優れている必要があります。 特定の奏者と波長が合うので名デュオや名三重奏団が生まれたと言う様な相性が合うとか合わないと言う事ではなく、多くの共演者の高い評価を得れる安定した立ち位置が評価されるのもバランス感覚のゆえであると言えます。
もう一度冒頭の言葉を繰り返します。スヴャトスラフ・リヒテルは無邪気なところがあるけれど、自身に対しても、それから他のピアニストに対してもその音楽芸術、演奏芸術には厳しい目を持ち、向けるピアニストでした。 そのリヒテルが共演することをいとわなかったのですから、エリザベート・レオンスカヤも優れたピアニストであるのは疑い様もないことだと思います。
その優れたところとは何かといえば、中庸のバランス感覚を持つピアニズムがレオンスカヤの演奏芸術だからだと述べておくことにいたします。レオンスカヤの事を書く時、心に浮かぶのはピアノ演奏におけるピアニストだけではなく聴く側の私達の問題点も浮き彫りになっていくことです。 レオンスカヤの中庸さがそうした想いを喚起するのだと思います。
フランツ・リストのロ短調ソナタを別に考えた場合においてもリストの最高難易度の楽曲にたずさわる時でさえもレオンスカヤは大仰な身振りに加担して派手な花火を打ち上げたりはしません。
そこには最高度の、こう言って良ければ平安があるのです。
(完)