ラローチャ その3
初めてラローチャの姿に接したときに舞台下手からステージに登場した小柄(身長が153センチくらいらしい)な「おばさん」がアリシア・デ・ラローチャその人であると思うには一瞬の戸惑いがあったのを正直に言っておきます。 その小柄な「おばさん」がお辞儀をしてピアノの椅子に座った時、すなわち側面から見たときに、その胸板の厚さと言っていいのか、上半身のがっちりした体形に驚いたのを今でも鮮明に思い出します。 ラローチャは手が小ぶりであってもそれをものともしない身体能力をその優れた体形で発揮しているのだと納得したのです。 単なる「おばさん」の中年太りなどではなかったのです。 それはもちろん訓練もあったでしょうし、ピアノ演奏テクニックを極めようとするラローチャの強い意志があったからだと思いまいますが、なんといっても持って生まれた才能や生まれたときから与えられていた身体のしなやかさ、強靭さこそが最も重要であったという事です。
手が小さいことが持って生まれた負であるなら(負であると言う言い方は全く好きではありませんが)ピアノ演奏に必要な優れた上半身を得ることが出来たのもの、生まれたときに私たちは選ぶことなど出来ない運命でもあります。
そして私の戸惑いなど物の数ではないように素晴らしい演奏を聞かせてくれたのです。
ですから、ラローチャというピアニストを知りその演奏に触れたときから、ピアノとは閑静な住宅街をそぞろ歩くとどこからともなく聞こえてくる深窓のご令嬢が弾くような「ヤワナ(軟な)」楽器ではなく格闘技にも似た厳しさを求められる楽器なのだと改めて考えさせられたものです(深窓のご令嬢などと随分偏見が入っていると発言だと思いますがお許しください)。
100歳を超えても舞台に立ち続け演奏活動に従事したミエチスラフ・ホルショフスキーは、100歳を超えても尚、現役でいられるのはなぜかとのインタビュアーの問いに努力とか健康とか当たり前の事を言った後に「優れた遺伝子!両親から与えられた優れた遺伝子に感謝する」と言う様に回答していました。 才能とはそういうものなのだと思います。
小さな手にも関わらず、ラローチャの手が遺伝という人間の力ではどうしようもない神の恩寵を受けた手であると言えるのはその柔軟この上ない関節や手のふくよかな豊かさがあるからです。
そのおかげで私たちは心より浸れる素晴らしいピアニストを一人得ることが出来たのだと、手放しで喜ぶことが出来るのです。
(つづく)