ウラディーミル・ホロヴィッツ その1(1903年10月1日〜1989年11月5日、ロシア帝国ベルディーチウ)
ニコロ・パガニーニが悪魔に魂を売って契約を結んで以来、ヴァイオリニストは胸かきむしる様な狂気に限りなく近い演奏をしてきたように思います。 悪魔との契約はフランツ・リストの場合は限りなく灰色に近い推定無罪であったのでピアニスト達は胸かきむしる様な狂気に駆り立てられることなく平穏な日々を過ごしてきたと言えるかもしれません。
しかし、胸かきむしる狂気は推定無罪ゆえにそこかしこに顔をのぞかせている様にも思えます。
救いはヴァイオリンそのものがこの世に現れた時から既にして完全な姿をしていたのに対してピアノは産業革命のもたらす材料と機構、工夫と改良による機械技術の進歩と関わり、ヴァイオリンの様に悪魔や神の関わりより人間の手に多くを負い悪魔や神からは少し距離があった事でしょうか。
それでも、やはり胸かきむしる様な狂気はヴァイオリニストだけではなくピアニストにも求められ、常軌を逸した演奏が希求され、拍手喝さいを浴びるのです。
こうした書き出しはピアニスト、ウラディーミル・ホロヴィッツの事に触れる文章の出だしにふさわしいようにも見受けられますし、また、あまりにも予定通りの内容だと幻滅されるかもしれません。
『音楽は楽譜を開きそこに記載された音符の「背後」にあります。 音符(自体)はバッハであろうが他の作曲家であろうが同じなのですから。 しかし、音符の「背後」に語られているものは違います。 解釈する者はそれを発見しなくてはなりません。』
『作曲家について出来る限り多くを知り、書いている物を研究することは音楽家にとって大切な事です。 また、演奏しようとする作品を生んだ時代の文化を吸収する事、当時の絵画、詩、全ての音楽に通じるべきです。』
マウリツィオ・ポリーニやアルフレート・ブレンデルなど理知的なピアニストが上の様に言っていますと言えば、なるほど、とピアノ音楽とピアニストに興味を持っている人々はうなずくかもしれません。 いえいえ、こうした事柄は何も理屈を述べそうな印象のピアニストばかりでなく異口同音に多くのピアニスト達が言っている事ですが、活動も演奏も人生観においても安寧なピアニスト達が発する言葉であると思われるのではないでしょうか。
ですが、上の言葉はホロヴィッツの言葉なのです。 上の言葉の様にホロヴィッツはきわめて常識的で音楽演奏芸術におけるバランス感覚を持ったピアニストだと言えるのです。 つまりホロヴィッツに対して私達がとっさに心に浮かべる常軌を逸したピアニスト、あるいはすさまじい演奏を行う、胸かきむしる狂気に限りなく近いピアニストと言った印象(人によって懐いている程度はかなり違い千差万別ですが)からはなかなか想像しにくい意外な面を持っているのです。 もしかしたら私達は誤解や偏見をホロヴィッツに対して懐いているのかもしれないと思えてきます。
(つづく)