アルゲリッチ その6

演奏家は実は繊細なのだと理解して頂けましたでしょうか。 アルゲリッチの繊細さを物語る今ひとつの事を述べておきましょう。 ミケランジェリの章で申しましたように、ひどいピアノで演奏しなくてはならなかった事をこぼしたと言う事実です。 意外に思われる方もいると思います。 ピアノなんかみな同じではないかと言う方もいます。 序章でも述べましたように悪いピアノは悪いピアニストの数より多いのです。 アルゲリッチがあれほどの演奏をするにもかかわらずやはりピアノの良し悪しは堪えるのです。 無神経では演奏家家業を続けることは出来ないと言うことです。
さて、アルゲリッチの演奏について触れるとラヴェルやプロコフィエフ、リスト、そう、ショパンもですが、を思い浮かべることは多いでしょうが、ここではベートーヴェンのソナタに触れておきます。 アルゲリッチは実にベートーヴェンのソナタを弾かないピアニストです。 どの様な心情によるものなのか私は残念ながら承知していません 。ギドン・クレーメルとベートーヴェンのヴァイオリンソナタは録音していますのでベートーヴェンが肌に合わないと言うわけではなさそうです。 そうした中でピアノソナタ第7番ニ長調作品10の3の録音がありますので聴いてみましょう。
この演奏で聴こえて来るのはアルゲリッチのこの曲に対する決然とした姿勢です。 全体を通して穏やかに感じる弾奏は聴こえてきません。まるで全てが厳しくあらねばならないとでも言っているようです。 そうだろうか、後半の第三、第四楽章の2つの楽章はまるで明るく跳ねるような曲想でベートーヴェンは作曲しておりどこに厳しさなどあるのかと言われると思います。 それでなくても第三楽章はおよそ厳しさなど無縁のメヌエットではないかと。 アルゲリッチの演奏には確かに慈しむような扱いが無いわけではありませんが、全体を通してフォルテ、フォルテッシモを随分決然と響かせています。 特に左手の低声部の扱いはかなりはっきりしています。
それより何より、スフォルツァンドの扱いが圧倒的です。 ベートーヴェンは要所要所で特に左手に対してスフォルツァンドの指示を出しているので、アルゲリッチは楽譜に忠実に弾いています。 ベートーヴェンはメヌエット楽章にさえスフォルツァンドの指示を用意しているのです。初期の取るに足りないと思われがちなニ長調のソナタに用意されたスフルツァンドにベートーヴェンの意思を感じるのです。アルゲリッチはベートーヴェン弾きと言われるようなピアニスト達と同様に意思を吹き込んでいるのです。

ベートーヴェン ピアノ ソナタ第7番二長調作品10の3:マルタ・アルゲリッチ(Pf)の演奏で
第一楽章https://www.youtube.com/watch?v=M-gB-tkQUtk&list=PL0B4C6DD56ADA46E2

第二楽章https://www.youtube.com/watch?v=cVtproooi8w&index=2&list=PL0B4C6DD56ADA46E2

第三楽章https://www.youtube.com/watch?v=FmCdxGE6TTg

第四楽章https://www.youtube.com/watch?v=K8XL0FPJgJ8&list=PL0B4C6DD56ADA46E2&index=5&t=37s

その7に続く

赤い矢印がスフルツアンドの指示。特にフォルテッシモの直ぐ後のスフルツァンドに注意。  メヌエット楽章のスフルツァンドが特別激しく聴こえるわけではありません。 むしろ通過するやさしげなメヌエットの流れの中にスフルツァンドは埋もれているようにしか聴こえないかもしれません。 どこに決然としたアルゲリッチのスフルツァンドの演奏があるのかと訝しく思われたとしても仕方が無いでしょう。 アルゲリッチの生き生きとした弾奏は、しかし、このスフルツァンドの表出の「隠し味」によってより充実しているのです。