アルゲリッチ その7

たかがスフォルツァンド、多くの作曲家が楽しいワルツや他愛も無い曲にスフルツァンドの指示を出しているではないかと言うのは事実ですが、このソナタ第7番の場合には少し趣が異なるのです。 ベートーヴェンが20代半ばに作曲した4楽章構成のこのソナタはベートーヴェンがひとつの跳躍をきした作品です。 第二楽章のラルゴ・エ・メストの絶望を独白するがごとき音楽の後に来る第三楽章、第四楽章の対比、そして忍ばせるスフルツァンドの効果。 若き野心に燃える作曲家、ピアニストのベートーヴェンが第7番のソナタに込めた思いを実に見事にアルゲリッチは表しているのです。 ここでの第7番の演奏は全体は非常に生き生きとして しかし、バランスの取れた演奏になっています。 珍しいアルゲリッチのベートーヴェンのソナタを取り上げましたが、アルゲリッチの演奏の特性が良く分かるのではないでしょうか。
黒ずくめの衣装で舞台に登場し何か物憂げに聴衆を見ながらどこかやるせなさそうな表情でピアノに向かうアルゲリッチの弾いたバッハが生き生きと少しも乱暴な、あるいは激しさを感じさせることなく響くとき、アルゲリッチの内にある音楽の有り様が透けて見えたような気がしました。 そこにいるのは女流のマタドールでなく一人のピアノに真摯に向かう音楽家の姿でした。
アルゲリッチは轟音をたててその後を追うエピゴーネン達の「頭目」などではないのです。 その演奏が実はいかに誤解されていることかと残念に思うのです。 火の玉のような、圧倒的な熱狂を鼓舞するような演奏はアルゲリッチの演奏の一部の側面なのです。 アルゲリッチがベートーヴェンの他のソナタを弾かないのは、もしかしたら当然期待される精神性と呼ばれる厄介なものに触れたくないからと考えるのは如何でしょうか? 熱狂は精神性と対峙して語られ(この演奏にはベートーヴェンの苦悩が感じられないとか何とか・・・)折り合いを付けることの困難さが、繊細なピアニストであるアルゲリッチには耐え難いからではないでしょうか。 かろうじて第7番は生き生きと折り合いを付けることが出来る曲だから弾いたとさえ思うのです。
失礼な言い方ですが、ベートーヴェンの他のソナタを弾くくらいなら躍動感に満たされたプロコフィエフを弾いている方が良いのだと。
取り上げるべき作曲家の作品はまだまだありますが、ここではアルゲリッチがどの様なピアニストであるのか一部の曲を聴きながら触れてみました。
アルゲリッチは実は繊細なピアニストなのです。 激しい弾奏の彼方にそれが見え隠れしています。 他の偉大なピアニスト達と同じように。

ベートーヴェン ピアノ ソナタ第7番二長調作品10の3:マルタ・アルゲリッチ(Pf)の演奏で
第一楽章https://www.youtube.com/watch?v=M-gB-tkQUtk&list=PL0B4C6DD56ADA46E2

第二楽章https://www.youtube.com/watch?v=cVtproooi8w&index=2&list=PL0B4C6DD56ADA46E2

第三楽章https://www.youtube.com/watch?v=FmCdxGE6TTg

第四楽章https://www.youtube.com/watch?v=K8XL0FPJgJ8&list=PL0B4C6DD56ADA46E2&index=5&t=37s

アルゲリッチ(完)