イエルク・デムス その1(1928年12月2日〜2019年4月16日、オーストリア)
イエルク・デムスはウィーンの三羽烏と言われたピアニストの一人です。 後の二人はパウル・バドゥラ・スコダとフリードリッヒ・グルダです。 考えてみれば音楽の都ウィーンはモーツァルトやベートーヴェンの時代から自前の偉大なピアニストを持つ事の出来なかった不思議な街です。 モーツァルトはご存じの様にザルツブルクに生まれベートーヴェンはボンの出身の演奏家です。 「音楽の都」と自他ともに認めているのにこれはどうした事でしょうか。
考えてみればウィーンが自前で賄った偉大な音楽家、偉大な作曲家や偉大な演奏家はほとんどいないと言ってもよいのではないでしょうか。 もちろんフランツ・シューベルトやワルツ王シュトラウス、シェーンベルクなど「数えるほど」はいたのですが。
そんな街に戦前に生まれ戦後に活躍を始めた同年代の3人の優れたピアニストが登場すればウィーンの気位の高い音楽愛好家達はしてやったりと膝を打ち、ウィーンもやっと自前で世界的なピアニストが、誠におめでたい事に3人も恵まれたと溜飲をさげるわけです。 そして否が応でも3人に対する期待と圧力値の針はぐいぐいと上昇するのです。
ところが、残念な事にそうやすやすと話は進みませんでした。 筆頭株のグルダは駄々っ子のような問題児でした。 スコダとデムスはグルダと比較すると順調な道を歩み安寧を保った様に考えられがちですが、彼ら二人に危機が無かった訳ではないのです。
もっとも生真面目なイエルク・デムスは周囲が押し付ける期待に応えることで精いっぱいになりピアニストの順調な歩みに疎外感を感じたのです。 彼が多くのソリストの伴奏に従事するのはそうした疎外感がもたらす息き詰まりからの逃避行為であったと、実は言える様に思います。 グルダの様にとんでもない駄々をこねて周囲を困惑させながらも我が道を行こうとした様にデムスは出来なかった、いえ、彼の性格ではそうした生き方は無理だったのです。 そしてやはり、デムスは順当で真っ当な道を歩んだのです。
デムスの弾くベートーヴェンのピアノソナタには道を踏み外さなかった者のこう言ってよければ趣味の良さがあります。 ゆるぎない第一級の確信的な弾奏に比べれば、デムスの演奏はもう少し肩の力の抜けた表情が感じられるのです。 無理をしない、だけれども出来ることの全てを投入しようとする演奏には好ましさを感じます。 デムスの演奏とは要約すればそのような演奏なのです。 万事がウィーン流の表現だと思うのは間違いなのです。
つづく