スヴャトスラフ・テオフィーロヴィッチ・リヒテル その1(1915年3月20日~1997年8月1日 ロシア帝国、ジトーミル、ウクライナ生ドイツ系)
偉大な20世紀のピアニスト達を思う時、ピアニストと言う種族は、実は、いかに繊細で控え目で、苦悩を背負い込んだ人達であるかに気が付きます。私達は名のある偉大なピアニスト達をまるで英雄の様に思い、古代ギリシアの英雄のごときふるまいを無意識のうちに要求しています。何事にも動じず、威風堂々して、恐いものなど無く、万全のテクニックを保持し、ピアノを操る如何なる困難も克服した舞台上のユリシーズを期待するのです。
スビャトスラフ・リヒテルが抱えた苦悩はこの様な聴衆のある意味では無責任な夢想に端を発している様に思えます。
事実として、聞いた全てのリサイタルにおいてリヒテルの演奏はただ一つの傷も無い完璧な演奏ではなかったと告白しておきます。何処かしらにミスタッチがあったり、どこかしらかに不確実なフレーズが紛れ込む事がありました。
それらは偶発的な誰もが犯す他愛も無いミスでしかないのですが、リヒテルと言う「金看板」の「名声」の下では許しがたい事になってしまいがちです。
誤解されてもかまいませんので言っておきますが、ピアノ音楽を楽しむ上ではリヒテルが犯す他愛も無いミスなどどうでもいいことなのです。音楽を勉強している音楽学生であろうが、専門家であろうが、一般の聴衆であろうが、リヒテルが犯す些細なミスが気になるなら、音楽など聞かなくてよろしいと言っておきます。
それは全てのピアニストが行う、一夜のピアノの夕べの全てに言える事です。ある若いピアニストがアルフレッド・コルトーお爺さんの演奏を聞き「僕にとってコルトーのミスタッチは僕の間違っていない演奏より僕にとっては好ましい。」と言ったとか、言わなかったとか。
私もまったく同じ事を言っておきましょう。「リヒテルのミスタッチは僕にとっては好ましいのです。」
スヴャトスラフ・リヒテルの偉大さは、まずリヒテルの他愛も無いミスを気にしない様になって初めて、その偉大さが理解出来るようになるのです。
その2に続く