ギレリスの演奏が「鋼鉄の」と呼ばれるようになって、ギレリスはあまり複雑なピアニストとは思われなくなったようです。分かりやすい(と一見思える)演奏と同様に本人も分かりやすいピアニストだと考えられたのです。 あれだけのテクニックを持ち第一級のピアニストでありながら、例えばホロヴィッツやミケランジェリや同僚のリヒテルの様にいろいろな意味で面倒くさいピアニストとではないから(例えば突然のキャンセルなど)安心だと言うのです。 何よりもギレリスは優れた同僚に対して控え目であると好ましく思う人々もいるのです。
実はギレリスは控えめな言動や態度とは裏腹に自己顕示欲を持っているのです。 「山のあなたの空遠くには自分より数等うまいリヒテルと言うピアニストがいるのだ。」「リヒテルと私が二人でかかってもベルマンにはかなわない。」などと一聴しただけではずいぶん謙虚な言葉だと、あのすごい演奏の後に発言すれば思えるのですが、ギレリスのこの発言は自己顕示欲を満たすための逆説的な言葉とも取れます。 たぶん同じ勢力圏(共産主義国家)の同僚を世に出すための援護射撃? 本当に控えめな性格さゆえ? とは思えません。そこにギレリスの複雑な感情が見え隠れしているように感じるのは穿った見方過ぎるでしょうか。
リヒテルは師のゲンリッヒ・ネイガウスに対するギレリスの態度に怒りを持って言及していますが(参考:ブリューノ・モンサンジョ著作)そうした発言もギレリスの心の奥にある複雑な感情を露呈する言葉だと感じます。
その複雑な感情、それは自己顕示欲以外に考えるなら嫉妬心なのでしょうか? まさかあれだけのピアニズムの具現者が、いったい何に対して嫉妬すると言うのでしょうか? 一向に見当がつきません。
ただ、ギレリスの深層の思いを推し量るとこうも考えられるのです。 同僚のリヒテルにしろ、ホロヴィッツ、ミケランジェリ、他の第一級のピアニスト達の誰かでも良いのですが、彼らには魔性の何かがある、パガニーニやリストが魂を売って手にした、人間を惑わし狂わせる、魔力を持っている。それは練習に明け暮れ、鍛え、テクニックに恵まれてどの様な困難を克服しても神が与えてくれなければ手に入らないものなのだけれども自分には「鋼鉄のピアニズム」は与えられたが、偉大な芸術家の全てが手にした魔力は与えられなかったと・・・。
もしそういう思いなら、それはなんと間違った思いであったことか。ギレリスも又、ピアニストの秘密を体現し、魔力を持った偉大なピアニストの一人であったと言うのに!と残念に思うのです。

(完)