ラローチャ その2
ラローチャは一つの奇跡です。 それはラローチャの手にあります。 奇跡を呼ぶ手だと思うのです。 ピアニストの手が奇跡を呼ぶ、その手で深淵なる曲を表現し奇跡を具現化するのは当たり前と思うかもしれません。 私が言いたいのは音楽の芸術性というよりももっと他の、上で言いましたように身体能力の事を言いたいのです。
おおかたの偉大なピアニスト達に比べてもラローチャは実は小さな手の持ち主なのです。
ラフマニノフが13度を掴む事のできる大きな手を持っていたことは有名ですが、20世紀の、あるいは現代のピアニスト達もそれなりに大きな手の持ち主が多いのです。 小さな手はピアノ演奏の世界ではハンディキャップなのです。 オクターブを奏でるにも、2オクターブ3オクターブ跳躍するのも、和音を掴むのも、アルペジオを奏でるのも、指使いを考察する時も小さな手のピアニストは大きな手のピアニストよりもかなり苦労するのです。
ところがラローチャはそうしたハンディキャップを物ともせずに、言いたくはありませんが「ピアノの女王」と形容されるほどの強さをイメージさせます。 それは途方もないことです。 だから、安易と言われるかもしれませんが、ラローチャは奇跡だと思うのです。 小さな手で偉大なるピアニスト達(シュナーベルでもバックハウスでも、コルトーでも誰でも良いのですが)の序列に列せられ最良の音楽を届けてくれるその様は今一度言いますが奇跡なのです。 オクターブはこなせるくらいの大きさはあったようです。10度がかろうじて届くとどこかで読んだことがあります。 別の本には8度がやっとという記述もあります。 どちらが本当か一向に分かりませんが、とにかく小さな手であることは事実のようです。 いずれにしろ世界中を飛び回るコンサートピアニストとしてはハンディであることに変わりはありません。 オクターブが届くという面から考えればオクターブが弾ければコンサートピアニストとしてやってゆくことはできます。 そのためには弾く曲を絞ったりアルペジオの技術に熟達したりの配慮や技が必要ではあります。
だけれども、ラローチャが弾いたブラームスの難曲、ピアノ協奏曲第2番を聞いてみればその演奏が手の小さいピアニストのものだとは想像だにしない重量感のある、で、ありながら自在にブラームスの内面に迫ろうとする演奏であることに唖然とします。 この一曲の演奏を聴いただけでラローチャがどれほど卓越したピアニストであるかを思い知らされるのです。
この過酷なピアノ協奏曲はご存知のように大変な技術を要求しながらもピアノはオーケストラとともにあるのです。少しも華やかで脚光を浴びるところが無い、ピアニストにとってはその大変な労力に比して損な楽曲です。ラローチャはここでも真摯に大変な難曲と向き合っているのです。それもまるで何も大変ことなどどこにもないがごとくに。
(つづく)