ラローチャ その4
だけれどもラローチャは持って生まれたものに寄りかかりなどしてはいません。 ラローチャは言います。 曲を勉強する時は楽譜全体を通して眺め、一番難しい個所をまず探し、指使いを考えますと。 私たちがコンサートピアニストなら当たり前の事で、たいしたことではない様に思ってしまいがちな事柄をラローチャは最優先して勉強を始めるわけです。 確かに指使いに無頓着なピアニストもいます。 自然に指が動いてくれるからでもありましょうが、考えなくても弾けてしまえばそれはそれでたいしたものではあります。 一般に私たちはなんとなくステージに立つピアニストは皆なそうだと誤解しています。 指使いに関する事を書き始めると切りがないのですが、例えば一曲の演奏で「ある」鍵盤一つを弾くのにその音は絶対に小指でなくては表現できないと感じその音を中心に他の指使いを構築するという事はあることなのです。
ピアノ演奏とはそうしたことの積み重ねの上に成り立っているのです。 ラローチャが指使いに優先権を与えているのは、手の小ささがあるからだと思いますが、それ以上に音楽的にふさわしい弾き方はどれかを真摯に考えているからに他なりません。 また、あまりラローチャの手の小ささに言及しているとその視点ばかりが、強調されるようですのでこのくらいにしておきますがラローチャの一言を書いておきます。 「私にとって指使いは安心の基礎なのです。」
オクターブ届けば小さいとは言えないと思います(例えばベラ・ダビドヴィッチや中村紘子も手は小さいことで知られる)。 大概の楽曲はオクターブ以上の手の開きを求めないものです。 ただ、やはりコンサートピアニストとしてやってゆくためにはそれ以上を求められるのでしょう。 リストやラフマニノフだけではなくオクターブより手を広げる和音を要求してくる楽曲もあるからです。 そんな曲はレパートリーに上げなければ良いのだと思いますが、大きな手が有利であることも残念ながら事実です。 さすがにオクターブが届かないとコンサートピアニストとしてやってゆくのはかなり厳しいと思います。 残念ながら現実は厳しいと言わざるを得ません。 オクターブが届かなかったばかりにピアニストの道をあきらめ「させられた」才能豊かな人たちもたくさんいるのです。