ポリーニ その3
ポリーニは情熱的なピアニストです。 そして孤高のピアニストなのです。 彼は共同作業としての音楽にほとんど興味が無いように見えます。 有名どころのピアノ協奏曲はレコード(CD)に吹込み、室内楽もわずかですがレコード(CD)が出ています。 でも他のピアニストの様に室内楽を共同作業として演奏することはほとんどしていません。 ポリーニプロジェクトなる演奏形態を持って演奏会を開いたりしてはいますが、あれほどベートーヴェンのピアノソナタに傾注しながら、ベートーヴェンのヴァイオリンソナタには無関心です。 一緒にやるのにふさわしいヴァイオリニストがいないからだとは思えません。 素晴らしいヴァイオリニストはいるからです。 この世の全てのヴァイオリニストが気に入らないなどという事はたぶんないはずです。
ポリーニは一人、孤独にピアニストとして、ピアノの独奏曲の演奏家として地平に立つことを自身に課しているのだと思うのです。
ポリーニはなぜその様な方向を向く様になったと言うのでしょうか? それは称賛を浴び続けるその優れたテクニックから来ているのだと思います。 何かと言えば必ず、現在においてさえ俎上に上るテクニック云々、その点ばかりを見る音楽の専門家や聴衆、称賛の言葉は如何にベートーヴェンを、ショパンを表現したのかに向けられることなく「完璧な」テクニックにばかりかけられる。 如何に作曲家の意図を体現する表現者であるかは問題にされない、そんな有様に怒ったり背を向けたりすること無く、反対にそれならピアノ独奏曲の表現者としてとことんやって作曲家の代弁者になってみようではないかと考えたのではないでしょうか。
若い初期の段階でベートーヴェンの後期のピアノソナタに取り組んだのはポリーニの代弁者足らんとした明確な意思表示に他ならなかったのです。 充分円熟してから取り組んでもよさそうな、他のピニスト達もどちらかと言うとその様に考えそうな、また、聴衆の側もそう望むであろう、第29番、30番、31番、32番を先に録音し、演奏会でも取り上げたのは、深淵な表現を要求される後期のソナタを演奏して見せる自負心や自信であると言うより、まさに深淵な後期のソナタをベートーヴェンが望むように演奏することが出来る、あるいはそれを目標としているのを分かって欲しいというポリーニの気持ちであったと思うのです。 テクニックではないピアノ音楽の真髄を差し出すことの出来る演奏家であるとポリーニは言いたかったのです。
(つづく)
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ全集:(https://ml.naxos.jp/album/00028947941217):マウリツィオ・ポリーニ(Pf)