リヒテル その3
歌劇場付きのコレペティトア(ピアノを弾きながら歌手に稽古をつける)の存在を御存じでしょうか。常にオーケストラを配置して練習する事など、費用的にも、人的にも無理ですからオーケストラの代わりに伴奏し練習の手助けをしたり、主役級の歌手達の伴奏をするなど縁の下の力持ちと言うのがこれほど相応しい役目も無い職業ですが、リヒテルは劇場のコレペティトアとして研鑚を積みました。それも、きちんとした指導を受けた訳でも無く、ただ、ワーグナーやヴェルディのオペラをピアノで弾く事に興味を持ちたずさわったからでした。こうした無茶ぶりは、リヒテルの実力を引き上げる力にもなりました。劇場付きのコレペティトアは往々にして初見演奏をこなさなくてはならない場合が多いのです。それがまたピアニストとしての人生に大変に役だったのです。ここにも荒っぽいと言うのが言い過ぎなら型破りなリヒテルを見る事ができるのです。
リヒテルは後に作曲もしており「私の最初の本格的な作品はオペラでした。」「私の興味を捕えたのはそれ(オペラ)だったのです。」「私の教育の主要部分をしめたのはオペラでした。」と言っています。そこまでオペラと深くかかわればそのまま劇場に留まり指揮者の道に進むものですし、偉大なオペラ指揮者達の多くはそうした下積み時代を過ごして来たものです。
しかし、リヒテルはピアニストとしての人生を過ごしたのです。それも飛びっきりの。リヒテルの様に複雑な感情を持った音楽家が指揮者になって成功したかはわかりませんが、少なくともある時は強引な事をしなくてはならない指揮者には合っていなかった様に思います。大変幸運なことにピアニストと言う職業がリヒテルには合っていたと言う事です。
ではリヒテルはどんなピアニストなのかを考えて見ようと思います。リヒテルも多くのピアニストが弾く様にベートーヴェンのピアノソナタを手掛けています。リヒテルらしいと思ったのは、ソナタ32曲の全曲の録音を残してはいないと言う事です。全集にして世に問う事にリヒテルは興味が無かったらのです。他の作曲家の作品でもソナタに限らずまとめて全集、あるいは全曲演奏にはこだわりがありませんでした。
そんなリヒテルですから、ベートーヴェンのピアノソナタもきっと共鳴する曲を選んで弾いたのだと思います。その中からやはり初めて、それも、ピアノを始めていきなり練習した最初の曲「テンペスト」を考えてみましょう。
ピアノ・ソナタ第17番 ニ短調 「テンペスト」 Op. 31, No. 2:http://ml.naxos.jp/work/6751786
その4に続く