ジョルジュ・シフラ その1(1921年11月5日 〜 1994年1月17日、ハンガリー)
「リストの再来」一体この形容詞は何人のピアニストに贈呈された誉め言葉なのだろうかと聞くたびに思うのです。 いえ、誉め言葉の内はまだ良いのです。 この言葉はもしかしたら否定的に使われる事の方が多いのではないかと感じる時があります。
フランツ・リストは常に誤解されたままの歴史上のピアニストです。 いったい「リストの再来」と言いながらリストの演奏を聞いたことのある人など一人として残っていない、また、リストが残した録音などあるはずもない現代にリストの再来かどうかなど誰にも判断出来ないのです。 判断出来ると思ってしまうところから既に誤解は生まれているのです。
確かにリストの演奏に関する無数の文献が残されておりそこからどんな演奏をしたのかどんな舞台姿であったのかを推し量ることは出来ますから、現代のあるピアニストの舞台上での振る舞いや奏でる音楽が文献に書かれているリストの舞台上での演奏や振る舞いと同じ印象を与えてくれれば「まるでリストのようだ」と感じることは無理からぬことではありましょう。
だけれども、それは個々の聴き手がいだく個人的な印象でして客観的な、あるいは普遍的なものではない訳です。 多くの聴衆がそう感じると「共同幻想」として「リストの再来」の形容詞が代名詞となります(レコード会社の宣伝文句として聴衆に与えられる場合も当然あります)。 そして誤解された多くの事も共同意識として通り相場になり流布するのです。
*1877年にエジソンが錫箔管による録音装置の開発に成功しているので、物理的にリストの録音が残っていてもおかしくはないでしょうが、それは見果て得ぬ夢の物語でしかないのです。 ヨハネス・ブラームスのピアノ演奏がかなり劣悪な音ですが残っているので、リストの演奏が残っていないのは誠に惜しいと思わずにはいられません。
ジョルジュ・シフラ、この生涯を通じて決して幸福ではなかったピアニストに思いをはせる時この「リストの再来」と言う形容詞が思い起こされるのです。 確かにシフラは「リストの再来」と呼ばれておりました。最初はその無尽蔵の技巧を称賛され賛美されて。そしてやがては否定的な皮肉を含んだ形容詞として。
およそ真摯なクラシック音楽のピアニストとしてではなく極端に言えば「軽業師」的なピアノ演奏のショウマンとして認識される様になっていったのです(軽業師やショウマンを貶めて言っているわけではけしてありません)。 もちろん正しくシフラの価値を見極めている聴衆もいたのですが、世間の取り方はその様に偏向していたのは否めません。