ヴィルヘルム・ケンプ その1(1895年11月25日~1991年5月23日、ドイツ)
ケンプは19世紀の生まれのピアニストです。舞台に立つケンプは確かに当時若かった私にはお爺ちゃんに見えましたし、その佇まいは巨匠の鎧に覆われた大家と言うよりはもっと身じかに感じる演奏家のそれでした。
ケンプの演奏から得られるのは「親密」で有る様に思います。親しみやすさと言えるかもしれませんが、もう少しピアノ演奏の秘密に近いところにいる様に感じるので「親密」と言うのです。
ピアノ演奏の秘密などと言うと何やら神秘主義的な事を言っている様に聞こえますが、スクリャービンの神秘にだって答えがある様に謎めいた話ではありません。如何にケンプがピアノを操るのかを考えれば、ピアニストの秘密に近づくのはそれ程困難な事ではないのではと思います。
ピアニストの秘密とは一体どうしたらあのように弾けるのだろうかと言う事です。ケンプはなぜあのように弾けるのだろうか、又はそのように弾かないのはなぜだろうかを考えたいと思います。
全てのピアニストは新約聖書を、すなわちハンス・フォン・ビューローの言うベートーヴェンのピアノソナタを一度は手掛けなくてはならないと思われています。ドイツ人のピアニスト、ケンプは当然そうですし、聴く側もベートーヴェンを求め、その期待にケンプはもちろん答えています。
ケンプのベートーヴェンの演奏を考える時、最も人気のあるベートーヴェンのピアノソナタの一つ第23番へ短調(熱情)作品57を考えてみましょう。
ケンプが走駆するとき、へ短調(熱情)ソナタは悲しみの色合いさえおびると、いや、激しさなど意に解さない佇まいとともに、諦観の情念に覆われます。人は、とりわけ訳知り顔の人は、ケンプの演奏がビルトゥオーゾの力量に欠けるからそう聞こえるだけだと言うでしょう。
ビルトゥオーゾの力量に欠ける?それはヘ短調(熱情)ソナタに何を期待しての言葉でしょうか。荒々しい技術(技巧を凝らした)の見せ場だけをベートーヴェンはへ短調(熱情)ソナタに希求したわけではないのは当然です。いやむしろ技術は表現の僕(しもべ)だと一番知っていたのは他ならぬベートーヴェン自身だったろうと思います。
ベートーヴェンはシューマンへの道を指し示しているのです(大胆に言ってますが)。道標となる和声の扱いと熱狂と高揚と戸惑いはローベルト・シューマンのあてどなさへつながっているのです。戸惑い?あてどなさ?へ短調(熱情)ソナタの何処に戸惑いやあてどなさがあるのかと疑問に思われますでしょうか。だからこそケンプの演奏するヘ短調(熱情)ソナタに耳を傾けるべきだろうと思います。ベートーヴェンがヘ短調(熱情)ソナタに込めた思いの一番近いところにケンプは居るような気がします。込めた思いとは?当時のベートーヴェンを振り返ってみればその理由に行きつくでしょう。手元にヘ短調(熱情)ソナタの手稿譜のファクシミリ版がありますが、雨で手稿を濡らした生々しいシミの後を見ながらベートーヴェンの思いに心を巡らせて見るのが良いのではないかと思います。
ベートーヴェン ピアノソナタ23番ヘ短調作品57(http://ml.naxos.jp/work/2529865)ケンプ(Pf)
その2に続く