澄んだ目で私を見ながら佐久間氏は言うのです。
「好きなレコードをより良く自分の好きな音で聴きたいから、その為のアンプを造るんだ。」
佐久間氏の痩躯で髭を生やした、仙人を彷彿とさせる、一見怖そうな、つまり融通の利かない、偏屈な世捨て人と見える印象は吹き飛び、目を輝かせた芸術家の姿がそこに重なりました。 この人はおそらくは必ずあったであろう苦しみを味わい、乗り越え、それでも純粋さをなくさず、一つの道を歩んだ人、求道者なのだと理解しました。 芸術家とは何も絵を書いたり、文学を表したり、それこそ音楽を作曲したり、演奏したりするだけが芸術家ではなく、求道者の事を言うのだと改めて感じました。
そう、お店にお邪魔した時から帰路に着くまでの間にある時は気さくに、ある時は真剣にお話を頂いたのですが、まさかこんなに長時間(3時頃にレストランを出ました)お話を聞く時間を得ることが出来るとは思いませんでした。 幸い(レストランである以上佐久間氏側から言えば我々3人だけしか客がいなのは経営上問題なのかもしれません)、他にお客さんが誰もいなかったと言う偶然もあるでしょうが誠に運が良かったと今にして思えばそう言えます。 今や佐久間氏にはもうお会いしたくてもお会いできないのですから。
「どこから来たの?なに茨城県!嬉しいねー、遠くから来てくれて。先日も関西の人が来てくれたけれど、遠くから人が訪ねてくれるのはとても嬉しいことです。」
最初にこんな会話を交わしましたが、この人は大変に苦労された方だと、だから感謝の念を持っているのだとそれも感じたことの一つです。
「好きなレコードをより良く自分の好きな音で聴きたいから、その為のアンプを造るんだ。」
先ほどの言葉を今一度載せますが、この言葉に私はオーディオの真髄を見たのです。 今まで漠然とオーディオとは何かと考えていましたが、この一言で納得できることがたくさんありました。 もちろん人によって全く違った考えを持つのは当たり前で、ある人は実演を模倣する音を、ある人は尖った音を、ある人は重低音を、ある人は音楽の為ではなく「音」の為に、求めるものは多様だと思います。
だけれども、まさに「好きな音楽を」自分の納得出来る音でただひたすら聞きたいと言う何だか当たり前の様でいて、その実、最も根源的で、難しい欲求こそが、オーディオの真髄なのだと気が付かされたのでした。
さらに重要なことはそれが「音楽」ための希求なのだと言うところにあります。人心を驚かせる事を狙ったり、他人の意見やオーディオ哲学に踊らされ、音楽を無視して「音」に向かっているのではなく自分の好きな音楽を好きな音で聴きたいのだとさりげなく言えるのは私の様な門外漢にはすごいことなのだろうと思えるのでした。(kazu)
(完)