マルタ・アルゲリッチ その1(1941年6月5日〜、アルゼンチン・ブエノスアイレス生)

突き進む女流のマタドール。 アルゲリッチをそう形容したら賛同を頂けるのでしょうか? 激しく、時には乱暴にさえ聴こえるピアノの弾奏が、恐いもの知らずのピアノの闘士、あるいは女傑を思わせるとしたら、私達はアルゲリッチの何を聴いている事に、あるいは何を聞きたがっている事になるのでしょうか。 興奮と熱狂や灼熱の炎を私達は聴きたいと思い、そうした演奏こそがアルゲリッチの本質だと思いますでしょうか? ピアノ演奏に求められる「名人芸」(*)が演奏技術の高度な運動能力によって成される事を指しているなら、ショパンのエチュードを如何に早く弾く事が出来るかがそのピアニストが如何に優れているかを表す事になりはしないかと思うのです。 ヴィルトゥオーソの概念は恐らくそうしたところから19世紀に流行った曲芸まがいの演奏から生まれたのだと言えましょう。
ジギスモンド・タールベルク(**)は演奏技術に磨きを掛けあたかも手が3っつあるかの様に聴こえる演奏で人気をはくしました。 アレクサンダー・ドレイショック(***)はオクターブを嵐の様に弾きまくり3っつの驚きをもたらしたと言います。 ドライ(独語・3の意)ショックと言う訳です。
悪魔に魂を売ったヴァイオリニスト、ニコロ・パガニーニがけして世人が真似の出来ないテクニックを駆使して欧州中を征服し、ピアノのパガニーニになるのだと後を追ったフランツ・リストがこれも欧州中を征服した時から、「名人芸」は熱狂的に称賛され、求められ、ピアノの名人達が音を立ててなだれ込んだのです。 それは19世紀のパリが中心でした。
マルタ・アルゲリッチの聴く者の心をかきたてる演奏はその様な演奏の系譜であるかのように思えるかもしれません。 例えばシューマンのピアノソナタ第2番ト短調作品22を聴けば誰もがシューマンの熱狂が圧倒的であると感じ、もはやアルゲリッチの演奏以外の同曲の演奏を想像する事が困難になってしまいそうになります。 他の演奏が想像出来ないほどにアルゲリッチの演奏は圧倒的であると言えるのかもしれません。

シューマン ピアノ・ソナタ第2番 ト短調 Op.22(http://ml.naxos.jp/work/4484048)アルゲリッチ(Pf)

*「名人芸」ここでは超絶技巧による芸術性や音楽性とは異なる技術を言う。

**ジギスモンド・タールベルク(1812年~1871年)スイスのピアニスト。フランツ・リストの最大のライバルと目された。

***アレクサンダー・ドレイショック(1818年~1869年)ボヘミアのピアニスト。ハロルド・ショーンバークは著書「ザ・グレートピアニスト」の冒頭で「ショウマン」と表現した。ショパンの革命のエチュードの左手を全てオクターブで弾いてみせた。テンポは通常通りだったと言う。

その2に続く

マルタ・アルゲリッチ (1941年 アルゼンチン・ブエノスアイレス生)