エミール・ギレリス その3

ギレリスのピアニッシモに何の憂いも感じられないと、色彩感が感じられないと一直線に届く弱音に否定的であってもそれはそれで十分に納得できるものです。 波紋の様に広がる、つまりは色彩感の波がある演奏こそシューマンの楽曲に近づける最短距離だと感じる聴き手には、否定的な言い回しで「やはり鋼鉄のピアニストだ」と思うかもしれません。
難しいところではありますが、それでもシューマンの幻想と熱意と蠱惑的な響きは当夜の演奏に見事に反映されていました。 もちろんシューマンのあてどなさを含んでいながら、そのくせ「交響的」と名乗るこの楽曲の響きはギレリスにとっては何の障害にもなっていません。 どうあってもオーケストラの向こうを張るような響きを出さなくてはなどとシューマンは要求していません。 ここで言う交響的とは空間的な広がりや奥行きを物理的な音響によって出すと言う事ではないのです。
ギレリスの力技を思い描いて交響的練習曲に臨めば聴き手は、ギレリスの演奏を捉え損なうでしょう。 シューマンの演奏について言えば大音量などギレリスその人も望んでなどいないのです。
シューマンに対するこのような思いがなければ、弱音に対する思いですが、ギレリスはベートーヴェンのピアノソナタに手を出すことはしなかったでしょう。 演奏会でも度々ベートーヴェンを取り上げていますが、なりより全曲録音が今少しのところで達成されず未完に終わったソナタ全集に着手するようなことはなかったに違いありません。
初期の作品2の2におけるフォルテの炸裂はなるほど力強いと言うより硬質な音色を感じさせます。それはフォルテを打ち込むときに、他の音形から独立してフォテの部分だけが曲の流れから無関係に響くような感じがするからなのです。
なるほど、フォルテの部分だけが力強く硬質な音色を伴って響けば「鋼鉄のピアニスト」のイメージが醸成されるのはしかたがないと気が付くところです。
ところで同じ初期の作品10の3のソナタ、第7番の演奏を聴けば、不思議なことにこうした事は感じません。第4楽章のロンド・アレグロの走駆が始まっても軽やかな指さばきと早めのテンポで明るい色調を伴うのです。短調で色が変わるところでは柔らかな響きさえはぐくまれます。

シューマン:交響的練習曲 作品13(http://ml.naxos.jp/work/5634082)エミール・ギレリス(Pf)

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第2番 イ長調 Op. 2, No. 2(http://ml.naxos.jp/work/4975261)エミール・ギレリス(Pf)

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第7番 ニ長調 Op. 10, No. 3(http://ml.naxos.jp/work/4975269)エミール・ギレリス(Pf)

(つづく)