エミール・ギレリス その5

ショパンのピアノソナタ第3番ロ短調作品58に触れましょう。 ここでは心情風景を感じさせる優美さが聞えてくる部分も有りますが、特性としては特にフォルテなどで頑固な固めの音色が炸裂します。 これは厳しいショパンです。 突然ショパンのソナタがブラームスのソナタのような響きをもたらし戸惑います。 おおよそ通常イメージするショパン像とは少しばかり違って聴こえます。 ギレリスはこの曲は「ピアノソナタ」だと言っているのです。 マズルカやワルツやノクターンやバラードではなく「ピアノソナタ」だと言っているのです。 ピアノソナタにはモーツァルト、ハイドン、ベートーヴェンに連なる構築美がありそれはショパンにおいても同様なのだと演奏を通して主張するのです。
演奏は勢い、厳しさを増します。 ショパンの内にある絶対音楽(表題を示さない音楽)の要素をたたきだそうとするかのような確固たる演奏がロマン派と言う、実はショパンに対する最も的外れな印象から引き離す、あるいは解き放つのです。 ギレリスのショパンの演奏にはそう感じさせてくれる内声がこもっているのです。
さて、大変な命題に言及してしまいました。 ショパンはよりによって「ロマン派」ではないと言い出すことはとんでもない事かもしれません。 それでもロマン派が表題や文学性と足並みを揃える一つの時代を示しているなら、ローベルト・シューマンが微細にショパンの楽曲を文学的に文章でいちいち分析し解説するのを読んで、ある意味シューマンを小馬鹿にした事との整合性がつかなくなってしまいます。
この件はここで語るには大き過ぎる問題ですので又、別の機会に譲りますがつまりショパンは文学的結びつきを自身の楽曲に投影することなど真剣に考えていなかったように思えるのです。すなわち自身の立ち位置がロマン派だと思っていなかったと・・・。
ギレリスも又、優れたピアニストの感性と直感を持って、(あるいは多くの文献にあたった成果かもしれませんが)ショパンとロマン派の結びつきを視点にしなかったとピアノソナタの演奏を聴いて思うのです。
いや、十分にロマン派らしい演奏ではないかと言われるのなら、ベートーヴェンのソナタだってロマン派を先取りしているとよく言われるのを思い起こして頂ければと思うのです。

ショパン ピアノソナタ第3番ロ短調作品58:(https://ml.naxos.jp/work/4402209):エミール・ギレリス(Pf)

つづく