スコダ 6

スコダのシューベルト演奏について少し長くなってしまった。 もちろんスコダはシューベルトだけではなく、シューマンやモーツァルトも演奏する。 当然!ベートーヴェンも。
スコダの奏でるベートーヴェンはどうなのだろう。 シューベルトが尊敬したベートーヴェンの演奏はスコダのシューベルトの演奏と関連した何かがあるのだろうか、あるいはこの偉大な作曲家二人の演奏に従事する時にスコダは違った様に弾くのだろうか。 作曲が違えば当然違ったように弾かざるを得ないとか、表現するもの、曲想が違うのだから同じ様に弾くはずがないと言う意見はその通りだが、言いたいことは、シューベルトを弾こうがベートーヴェンを弾こうがスコダはスコダであるのかと言う事である。 なぜこんなことを言うのかと言えば、歴史的な楽器、当時のピアノフォルテなどを使い(それは仲間のデムスも同様なのだが)ベートーヴェンのソナタ集を録音しており、楽器が古(いにしえ)の物になった時にその演奏スタイル、いや、解釈も違いを見せるのか、それはシューベルトにおいても言えることなのではないかと考えを巡らせたからだ。
スコダのベートーヴェンのソナタの演奏は「しっかり」した演奏だ。 安定した脚運び(リズム)で粛々と歩んで行くとでも言えば良いのだろうか。 控えめなところは控えめであり、高揚し激高するところはその様に響く。 あからさまな爆発やビィルトゥオーゾ的弾奏は控えられ節度をもってあまりあるが、確固たる意志の力がベートーヴェンのソナタの急進的な部分を下支えする。
ベートーヴェンの嬰ハ短調ソナタノの第一楽章(月光ソナタ)は幻想風を表現するために適切なペダリングを交えて演奏が構築されるが、右手の三連符とは別に左手がオクターブで幻想性を支える。 左手のバスの響きはベートーヴェンにおける急進的なるものの表現の要であり、ロマン派の萌芽が既に厳然としてあるのをスコダは演奏において示唆する。
こうして聞いてみるとスコダは楽器の新旧に解釈の違いをゆだねるような事を考えていないのが見えてくる。 シューベルトの演奏においてもしかりである。 基本的にスコダの考えは、工業製品の勝利品たる現代のピアノは大きな空間のホールでは有効であり、古楽器奏者達の様に何が何でも当時の楽器でなくてはならないとは少しも考えていない。 むしろスコダのピアノに対する姿勢はあくまでもスコダ自身を育てた、リストの晩年に完成された現代のピアノ(当然88鍵の)が基本である。 古(いにしえ)のピアノ(当時の楽器、もしくは当時の楽器のレプリカ)は小さな空間のホールには適しているが、大ホールでは能力を発揮出来ないと考えている。
スコダは楽器の新旧による技術的な、あるいは機械的な要素の違いの部分ではピアノの違いに配慮して演奏しているが、解釈の根幹の部分では何か特別に配慮している訳ではない。 スコダのベートーヴェンのソナタ演奏にあるのは変化球がないわけではないが、直球を中心とした一本気な思いであり、デムスの演奏に一脈通じるものでありながら、今少しデムスより自由を控えめに表している。
(つづく)

ピアノ・ソナタ第14番 嬰ハ短調 「月光」 Op. 27, No. 2:(https://ml.naxos.jp/work/6158075):スコダ(Pf)