他の楽器と違い現代のピアノは複雑な工業製品なのです。明らかに手作りだった初のピアノ、バルトロ・ロメオ・クリスオフォリの時代には考えられなかった大量生産、生産管理、生産合理化とまるで自動車を造るような生産手法で今のピアノは世に送り出されています。
ピアノは「機械」なのです。ただ、自然の素材の木をたくさん使う為にどの様に均質化が図られようと同じものは出来ません(家電製品の無機質な大量生産品でも同型なのにスイッチの押し心地が違うなどの個性があるくらいです)。
その為に他の多くの楽器以上に調性やメインテナンスが必要となります。だからピアノには調律師と言う専門職がいるのです(まれに自分で調律もするピアニストがいますが)。チェンバロでさえ音を整える調律は演奏者あるいは楽器の持ち主自らが行うのに対してピアノだけは演奏者が楽器の面倒を診ないのです。
先にミケランジェリは演奏のおりに雑音さえも排除すると述べましたが、機械であるピアノに関する多くの事が、ピアノを調整する調律師が行う仕事になるのです。雑音の排除にさえ調律師の腕が関わって来るのです。ハンマー(ピンを動かす道具)を使ってピアノの音を整えている場面は多くの人が見ている事と思います。こうした「整音」が調律師の仕事の様に思われがちですが、実は調律師の仕事の一部にしかすぎません。
多くの人が知っている様に、ミケランジェリは自分用のピアノを持って演奏旅行をします。他にホロヴィッツもそうですが、自分專用のピアノを持ち歩くピアニストなど滅多にいません。物理的、金銭的、日程的な諸問題が発生するからでもありますが、ほとんどのピアニストが、演奏に訪れた土地で手配するピアノを使います。それがピアニストに取っての日常なのです。
ミケランジェリは自分用のピアノでなければ完璧は期せないと考えている様です。ただ自分が何時も弾いている「慣れた」ピアノだからではないのです。確かに慣れは大切な、無事に演奏会を執り行う安心の為の要素の一つではありますが、その為に大変な労力を払い専属の調律師まで同行させる念の入れようはもはや「使い慣れたピアノ」の領域を超えています。
ミケランジェリは理想とする完全なピアノで聴衆の前に立ちたいと願い、それが叶わなければ聴衆の前に立ちたくないと思っているのです。演奏に常に付いて回る不安、不可抗力がゼロになる様に己自身だけではなく、ピアノにも完全を要求したいのです。
他のピアニストであれば無頓着に処理する分散和音を、弾き飛ばしてしまうスケールを、無難に通過するパッセージを、時には避けがたくあるとしてもミケランジェリは自身の演奏で自身に対して許す事が出来ないのです。
だから、完全なピアノを要求するのです。ある、一夜のピアノの夕べでピアノが悪いので演奏をしないと宣言し、主催者や関係者各位を慌てさせ、聴衆をガッカリさせ時には怒らせるのです。演奏会場に集まる全ての人達の期待に応えたくても、聴衆の期待通りの演奏は出来ないからとキャンセルするのです。キャンセルはプロフェッショナルとしてはやってはいけない事だと了解していても、ミケランジェリは全てを「完璧に」「つつがなく」出来ないと疑心暗鬼になった時に舞台から「逃げ出す」のです。
ある意味、音楽と聴衆と自分自身に対して誠意ある態度と弁護出来るかもしれません。

その6に続く

アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(Pf)