レオンスカヤ その2

ベートーヴェンを尊敬し崇拝していたシューベルトが短期間で書き上げた最後期の3曲のピアノソナタの内のハ短調のソナタは楽想や気持ちの表れがベートーヴェンの2曲あるハ短調のソナタと比べられることがありますが、もとよりシューベルトのハ短調ソナタはベートーヴェンの様に革新的な何かや次の時代を見据えつないでゆく構想の発露や挑戦的な要素を合わせ待った、そうした立ち位置にあるソナタではないのです。  あるのはハ短調の調性に由来する厳しい調べへのあこがれと流れゆく楽想へのオマージュ。 さらには魂の穏やかなる叫び。 あるいはハ短調に表れるベートーヴェンへの憧憬。 レオンスカヤの演奏にひそむ抒情的な流れはその様な、そこはかとないハ短調の厳しさから一歩引いた、だけれども厳しい演奏なのです。 矛盾した言い方ですが、その様に表現させていただきたいのです。
不思議なことに歳を取り晩年の様相を呈し始めると、一部のピアニスト達はシューベルトの晩年のピアノソナタに傾倒するようになるのです。 若い時に手掛けていても、再びシューベルトに戻ってくるようなそんな趣を持って傾倒してくるようなピアニストもいるのです。 例えばウラディーミル・ホロヴィッツもそうでしたし、イエルク・デムスやバドゥラ・スコダやクラウディオ・アラウも手掛けています。
シューベルトの最後の年に作曲されたソナタには人生の「癒し」の様なものがあるのだと感じることがあります。 聴く側にとっても癒しですが、ここでは弾き手に取っても癒しだと感じるのです。 難解で深淵で、だけれども決して難しい形而上学的な何かを、哲学的なあれかこれかを突き付けてこない作品は、あたかも安らぎのよりどころとなっている様に感じるのです。
レオンスカヤが近年シューベルトのソナタを手掛けるのはそうした面を感じ取っているからの様に思われます。 レオンスカヤは技巧の練達を差し出してみせる技巧に従属したピアニストではないと言えます。 だからレオンスカヤはシューベルトもそうですが、ショパンの性急なフレーズでさえも一気呵成に通過したりはしないのです。 そこには常にある種の趣味の良さが顔をのぞかせています。 趣味の良さとはいささか抽象的な言い方ですが、つまり力ずくの技に寄りかかったりしない演奏だと論評すれば分かりやすいのではないでしょうか。 そして趣味の良さとは大きな音や、派手な技巧とは別の、音楽と聴衆に共感を得ることで表されるものです。
レオンスカヤのショパンの演奏はタッチの美しさにあります。 そして慈しむ様なタッチが常にショパンの曲の演奏を支えているのです。 シューベルトを弾くときもそうですが、ショパンの演奏でもトリルとアルペジオの扱が大変に洗練されているのです。 何を持って洗練と言う言葉を使うのかですが、大変に均質な指使いが洗練さをもたらしているのです。

(つづく)

シューベルト・ピアノ・ソナタ後期3部作

ピアノ・ソナタ第19番 ハ短調 D. 958:(https://ml.naxos.jp/work/2170472):レオンスカヤ(Pf)

ピアノ・ソナタ第20番 イ長調 D. 959:(https://ml.naxos.jp/work/2153610):レオンスカヤ(Pf)

ピアノ・ソナタ第21番 変ロ長調 D. 960:(https://ml.naxos.jp/work/2170473):レオンスカヤ(Pf)