ブレンデル その5

ベートーヴェンのソナタの演奏についてさらに話を進めたいと考えていましたが、それだけで大変な量になってしまいますので、話を移したいと思います。

ブレンデルは次の様に言っています。
「知的であってはならない、音楽の魔術が無くなってしまうからと言い音楽が天から直接下りてくるかのように信じたがる連中が多すぎます。 ベートーヴェンのソナタ一曲が途方もない知的な偉業であると言うのに。」「秩序なしには芸術作品は存在しません。」
これらの言い分が、感性や情感を持って奏でるのが音楽だと言う受け止め方に反している様に思われ「難しい理屈をこねる」ピアニストだと思われてしまうのがブレンデルの損なところだと思います。 ところがブレンデルはこんな風にも言っているのです。
「ピアノの音そのものは、特に面白くも個性的でもありません。 直接、感覚に訴えるものを持っていないのです。 いかにもピアノらしく響いてはいけない。 歌わなくてはならないのです。 ピアノは別の世界の音を呼び覚ますことが出来るのです。」
歌わなくてはならないそうです。 古今東西のたくさんの大ピアニスト達が異口同音に同じことを言っています。 ブレンデルのピアノ演奏が、多くのピアニスト達と特別に変わっている訳ではないのが理解できます。 ブレンデルも又、同僚のフリードリッヒ・グルダと同じ様に世に流布するいささか感情的でありながら変にペダンチックなピアノ演奏に対する誤解に抗議しているわけです。
ブレンデルはさらに「和声進行を記憶しない方が好ましい。 弾き進めていくうちに和声進行を感じ取れるからだ。」と言っています。 学研肌の全てを準備しなくてはいられない様なピアニストの姿はどこにもありません。 実にブレンデルと言うピアニストは自由に曲と接したいし、表現したいのだと思っているのです。 ブレンデルの演奏は良く考え抜かれた面を持ってはいますが、最初に誤解して捉えていたのよりはよほど自由で闊達な積極性がありブレンデル本人の演奏に耳を澄ませ、意見を読む事でも分かるのです。 用心深く検証を重ねながら歩む演奏とは違います。
当然のことを述べるのは気が引けますが、ブレンデルの演奏はもっと個人的な喜びや、悲しみや、要するに人間の持つ個人的感情をそのよりどころにしているという事は他の偉大なピアニスト達と同じなのです。
でなければ、あのように満面の笑みを浮かべ聴衆の前に登場など出来ないはずです。 そしてあのようなモーツァルトやあのようなシューマンを奏でることは出来ないでしょう。

ローベルト・シューマンの曲の中でも取り分け鋭意に満ちたクライスレリアーナの演奏に耳を傾けてみましょう。 ブレンデルは初期のシューマンは大変にアバンギャルド(前衛・旧来の在り方への抗議)な曲を作曲したと言っています。 ここにブレンデルのシューマンの楽曲演奏に対する解釈の方向が伺えるのです。
(つづく)

アルフレート・ブレンデル(Pf)